瀬戸内に浮かぶアートの島 直島(なおしま)で、新鮮なお魚を使ったオシャレなイタリアンの夕食をカジュアルに♪
直島パスタREGALO (レガロ)より、ほっこり直島の美味しいつぶやきをお届けします。
今日は、食べ物の話はちょっとお休みで、アートの楽しみ方についてぽんちゃんの考察です。
直島はアートの島。
小さな島だけど、かの有名な安藤忠雄の建築物や、世界的に著名な芸術家の作品が見られる。それで、毎日毎日、遠くの国から多くの熱心なお客様がいらっしゃる。中には日本で知り合った旅人から「直島よかったよ」って言われ、旅程を変えてまでやってくる外国からのお客様もいる。
直島のアートは、現代アート。
地中美術館のモネの絵は、少しは目になじみがあるかもしれないけど、それ以外は、わたし(ぽんちゃん)の小中学校時代の美術の教科書には出てこなかった作品ばかり。
日本人の気心しれた人たちとおしゃべりしているとよく聞くのが
「この絵見ても、なにがなんだか理解できない」とか
「あれって、ただの落書きじゃん」とかいうつぶやき。
正直、わたし(ぽんちゃん)もそんな風に思うことはあった。
いっぽう、外国からのお客様とお話していると、
「草間彌生のパンプキンが見られてよかった。アメリカでは美術館に展示されているんだ」とか
「安藤忠雄の建築が大好き。だから直島にずっと来たかった」とか
「デュッセルドルフで開かれた杉本博司の展覧会で、彼の海の作品を見た。圧倒された」とか
何やら、直島は世界的にはめちゃくちゃ素晴らしいと評価されるものがいっぱい見られる場所なんだということがわかる。
この違いは何だろうなぁと思っていたところ、直島に遊びに来た知人の一言にはっとさせられた。
「現代アートって解説がないとわからないよね」
ああ、もしかして・・・・ぽんちゃんは考察した。
日本人は、画一的な学校教育のなかで、「物事には正解があって、それを理解しなければならない、理解できないことは恥ずべきだ」と小さいころから刷り込まれてきたんじゃないだろうか。
「これは何だ?どう理解したらいいんだ?ああどうしよう、わからない」
そんな風に、日本の美術教育を受けてきた我々の左脳が焦ってしまう。
そもそもアートには正解というものはなくて、自分の理解があっているかどうかなんて気にする必要も、無いんじゃないだろうか。自分なりにそのアートに感じたこと、それが正解そのもの。
だから、アートに出会ったら、まず左脳には黙ってもらって、自分の思考をまっしろにする。正解は探さなくていい。右脳の出番だ。
そこにある表現にただ集中する。最初は言葉はいらない。ただ感じる。
ふと何か言葉が浮かんだなら、なぜそう感じたのか、探索する。
何も感じなかったら、それはそれでいい。だって、今の自分の右脳ががこのアートに響かなかっただけで、次回来たときには、何かを感じるかもしれない。次に来た時の自分は今の自分と同じとは限らない。
そんな味わい方ができたら、わけのわからないように感じてきたアートも、なんだか身近になる気がする。そう、料理やワインの味わいのように現代アートも感じたらいいんでない?とぽんちゃんは思ったのだ。
「おや、この料理、いい!・・・なんでそう思ったんだろう。うーんと、あまい香りにちょっとこの焦げ目が絶妙なのかな?」とかなんとかいうのと同じ。
直島のアートとレガロの料理のおいしさ、ただただ、感じてみる。
今の自分が感じたこと、それが今の自分にとっての正解。
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文責:ぽんちゃん